超高齢化社会と呼ばれる日本において、避けては通れない課題が健康寿命の延伸です。その健康寿命と密接に関わっているのが、人間の細胞内に存在するミトコンドリア。私たちが生きるために必要なエネルギーを生み出す重要な器官である一方、機能不全に陥るとさまざまな不調・病気の原因となってしまいます。治療のためにはミトコンドリアに直接薬物を届ける必要がありますが、防護壁の役割を果たす細胞膜に包まれて存在し、さらに複数の生体膜で守られているため、物理的に難しいとされていました。
しかし、島根大学の森本研究室が研究しているポリマー(高分子)※を用いることで、その課題が解決されようとしています。今回は研究の詳細と研究が叶える未来について、同研究室の森本展行教授に話を伺いました。
※「モノマー」と呼ばれる小さな分子が、多数繰り返し結合してできた非常に大きな分子のこと。自然界に元々存在する天然ポリマー(タンパク質など)と、人工的に合成した人工ポリマー(プラスチックなど)が存在する。
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不可能を可能にする、新しいポリマー

森本教授:「森本研究室では、主にポリマーを用いたバイオマテリアルの設計・開発や研究を行っています。開発したバイオマテリアルをもとに、ミトコンドリアへの薬物送達システムをはじめとしたバイオテクノロジーへの応用展開を目指しています。医療だけでなく、化粧品や食品などにも活かせる研究です」

実際に研究室で、素材を見せながら解説いただいた

森本教授:「ミトコンドリアは、ATPと呼ばれる私たちが生きていく上で必要不可欠なエネルギーを生産している器官です。しかし、機能不全になることでフレイルと呼ばれる虚弱状態や癌、糖尿病、神経疾患といったさまざまな病気の原因となります。実は想像以上に私たちの健康と密接に関わっているんですよ」

森本教授:「これまではミトコンドリアに薬物などを届けたくても、細胞膜を通過することができませんでした。そもそも細胞膜は、細胞を保護する役割も持っています。外から入ってきた悪いものを排除する良い働きがある一方で、薬物なども排除してしまうんです。しかし、私たちが開発したポリマーと一緒に届けることで、その免疫反応を回避できるようになりました。さらに、そのポリマーに蛍光色素を用いることで、ミトコンドリアの内部を観察しやすくすることにも成功しています」

社会への貢献も、研究者としてのこだわりも

社会にとって、大きく貢献できる可能性を秘めた森本研究室のポリマー。同研究室ではポリマーの元となる素材の設計開発、素材単体の検証や細胞内での働きを見る検証など、複数の段階をワンストップで行っています。「本当は段階ごとに、専門的に担当することが多い」と語った森本教授ですが、そこには効率よりも研究の追求を目指す姿勢がありました。

森本教授:「師事してきた先生方からの影響も大きいのですが、『マイ・マテリアル』——設計から生体への検証まで自分で手がけた素材が欲しい、といったところでしょうか。時間をかけて一からアイデアを形にしていくという、既存の素材をアレンジすることが多い昨今の研究の流れとは逆を行っているのですが……。でも、自分の子どもみたいで、とても可愛いんですよね(笑)。研究室の学生たちも思い入れを持って研究してくれるので、彼らの教育にも良い効果があると思っています」

学生たちと和気藹々と話す森本教授

森本教授:「とはいえ複数の段階を担っていると、研究にかかる時間に加えて費用も増えていきます。だからこそ、競輪とオートレースの補助事業には、2022年度の研究から本当にお世話になっています。私たちの研究には、高性能な機器の購入が不可欠ですので」

競輪とオートレースの補助事業による導入機器の一つ

誰もが「健康に」長生きできるために

最後に森本教授から、自らの経験に紐づけて研究が叶える未来を語っていただきました。

森本教授:「私の曽祖母も、祖母も100歳を超えるまで長生きしたのですが、祖母は最期まで頭がしっかりしていた一方で、曽祖母はそうではなくて。その経験から、やっぱり長生きするにしても、元気に長生きしたほうが良いなと。寿命を延ばすということも大事ですが、健康寿命も同様に延ばしていきたい。フレイル(虚弱状態)だけでなく、神経疾患の方もしっかり自分の足で歩きたいと思うでしょうし、糖尿病の方だっていろいろなものを食べたいと思うのは当然です。私たちのポリマーを通じたミトコンドリアの治療が発展していくことで、老後も元気で不自由のない、豊かな人生を送れる方が一人でも増えてくれたらうれしいと思っています」

素材と未来について語る森本教授の顔には期待に満ちた笑顔が

森本研究室が研究しているのは、非常にミクロな世界に関わる物質ながらも、社会にとって大きなインパクトを与えるポテンシャルを持っていました。